時計を愛する人は、つい人のつけている時計が気になって見てしまうものです。
本当に良い雰囲気の出てる時計がありまして、そういう時計は持っている人の印象との相乗効果を引き起こします。
たとえば、飛行機に乗っている時にフライトアテンダントの人が離陸時間の確認に何度も時計を見ています。
その時計は、革バンドのなんの変哲もない安物っぽいクォーツ時計などを使っていることがありますが、持ち主の雰囲気がよいと、その時計を含めた仕草自体がとても魅力的に見えたりすることがあります。
あるいは、病院で脈拍を測られる時、手首の動脈のところに親指をあてて、時計見ながら測りますね。
あの数秒間も時計が輝いてるひとときです。
もっと、想像をふくらませると、こんな例も思いつきます。
ある漁村で、もう何十年も海に出て魚を捕っている漁師さんがいるとします。
仕事に打ち込んできたその人の顔には深い年輪が刻み込まれて、その笑顔はとても素敵です。
船の上で一仕事終わって、一服のひととき、
「いやあ、今日は大漁だったねえ」とか言いながら、船の縁に腰を下ろして空を見上げる。
その漁師の左手にはめているダイバーウォッチ!
もう、20年も使い続けたダイバーウォッチ!
「はっはっは、これかい?いやあ、そんなに見ないでくれ、安もんだ、いつ頃だっかなあ、あっ、そうだ、息子が生まれた時に街の時計屋で買ったんだ。」
「息子?あいつは街がいいって言って出てったよ。」
なんて言いながら・・・。
そういうわけで、時計というものは高ければ良いというものではなく、持ち主の思い出が染み込んでいく特別なものなんですね。
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