カフェテリア・カビノチェ
特選ディスカッション


What is complete maker ?

●Zanzibar氏の意見

このところ、IWCのムーブメントについての話が多いようなので、「IWCは、
ムーブメントや時計製作にかかわるすべてのものを自製するコンプリート・メーカー
です。」という言い方について、私なりの意見を述べたいと思います。
これは、一IWCユーザーからの質問について、返答したものからの引用です。

>マークXIIのムーブはルクルト製のものでしょうか?・・・・・

はい。確かにこのムーブメントのベースになっているのは、ジャガー・
ルクルトの「キャリバー889」です。このベースキャリバーをIWC流にアレンジ
し直したものが、マークXIIに搭載されています。ご存知かどうかわかりませんが、
ドイツ系のコングロマリット「VDO」(主に自動車関係の計器メーカーを中心とする
団体で、メルセデスもその一員です。)の中の、時計関係の団体として、「LMH」
という組織の構成メンバーとしてIWCとジャガー・ルクルトが存在します。
それを束ねているのが、かつてIWCとジャガー・ルクルトの社長を兼任し、
現在では、A.ランゲ&ゾーネの社長兼LMH会長である、ギュンター・
ブルームラインです。この組織を形成するのが、この3社であり、お互いに
技術提携を行っています。かつて、ドイツの名門であった、ランゲを再興するに
あたって、数多くのIWC社の職人が、技術指導のため派遣されたり、IWC社にて
設計・製作されたパーツを元にルクルト社で、ベースキャリバーが組み上げられ、
それがまたIWC社に戻されて、IWC社流のムーブメントに生まれ変わる、
という具合です。こういう話をすると、「じゃあ、IWCはコンプリート・メーカー
ではないのですか?」という疑問が湧いてくると思います。私なりの解釈では、
厳密な意味において、現在のスイスの時計メーカーに、一から十まで自社でこなして
いるコンプリート・メーカーは、存在しないし、たとえ、そのムーブメントを
形成するベースキャリバーがあったとしても、それをその会社流にいかに手を
加え、美しく仕上げるか、この点を持ってすれば、コンプリート・メーカーといって
差し支えないのでは、と思います。

みなさんは、「コンプリート・メーカー」という言葉について、どのような意見を
お持ちですか?

●JUPITER氏の意見

>・・・それをその会社流にいかに手を加え、美しく仕上げるか、この点を持ってすれば、
>コンプリート・メーカーといって差し支えないのでは、と思います。

Zanzibarさんのご意見に賛成します。

ムーブ供給といえば、ETAやピゲが話題になることがありますが、
ETAやピゲが良質なムーブを生産するからこそ、多くの個性豊かなスイスブランド
が生まれたとの見方をすることもできますね。

>みなさんは、「コンプリート・メーカー」という言葉について、どのような意見を
>お持ちですか?

わたしの意見を述べさせていただきますと、
「コンプリート・メーカーか?」ということは50パーセント程、気になります。
気になる残りの半分は、「どういう姿勢のメーカーか?」ということです。

ブランドの個性は、素材にどのような手を加えたかによって現れると思います。
機械のパーツから磨き直して、メーカー独特の個性を投影する場合もありますし、
魅力的なデザインのケースを作り、ファッショナブルな製品に仕上げることもあります。
また、宣伝広告によってブランドイメージを作り上げ、製品をブランドイメージの
シンボルとして扱うメーカーもあると思います。
メーカーとしてはさまざまなスタイルがあるわけです。

市場をみてみると、現にさまざまな製品が販売されており、自社ムーブのみが商品選択の
価値基準にはなっていないのは明白であります。

こういう、自社ムーブ云々という観点以外から、時計を見てみるのも大変興味深いと
思います。

●SB氏の意見

皆さんのように、プロではないので、またオタク(これは使っていい
のでしたか?)でもないので、具体的かつ専門的な意見は言えま
せんが、
時計を趣味として持っている者から一言だけ書かせてください。

自社ムーブ(キャリバー)といえるものを使い、また、自社で作った
ムーブを一般的に高級ブランドと評価されているところに提供して
いるメーカーに好意を感じます。(他社に供給していないところは
あるのかどうか知りません)

なぜなら、高級ブランドは時計に限らず、基本的に「品質」にこだわ
ります。ブランドのようにイメージを大切にするものは、いったん
信頼を失うと、もとの評価は取り戻せないと思います。したがって、
顧客の信頼に応えられる、また、信頼を失わないもの以外は売ら
ないものだと考えています。つまり、最高のブランドは、最高のもの
を選び、そのプライドにかけて人々に最高の品物を提供するのだと
思います。そう考えると、最高のブランドに選ばれたムーブは最高
のものに恥じないものだと言えるのだと思います。

時計好きは別として、例えばカル○ィエの時計を購入しようとする
場合、この中のムーブはどこで作っているのか?気にする人はあ
まりいないのではないか?このブランドの時計だから信頼して買お
うと考えるのではないでしょうか(単にブランド好きなどと言う場合は
ここでは別にして)。時計が好きな人は、このブランドのこの時計に
は某社のメーブが使われている、という点でも評価したりするので
はないかなと思います。

消費者は賢い(異論あり?)ものですから、単に有名ブランドだとい
うだけでは魅力を感じないものです。デザインや機能性もさることな
がら、「品質」が良いものでないと認めないのだと思います。

良いものを適性な価格(これが高い!)で売る。そういうポリシーを
持つブランドに使われているムーブ。これが自社ムーブを作ってい
るメーカーへの好意の基準だと思っています。

なんだか舌足らずで、論旨不明になりましたが、とりあえず、書かせ
てもらいました。

●JUPITER氏の意見

>自社ムーブ(キャリバー)といえるものを使い、また、自社で作った
>ムーブを一般的に高級ブランドと評価されているところに提供して
>いるメーカーに好意を感じます。(他社に供給していないところは
>あるのかどうか知りません)

現行商品では、
代表的なところでいうと、時計メーカーではジャガー・ルクルトとジラール・ペルゴですね。
ムーブメーカーではETA、フレデリック・ピゲ、レマニアというところでしょうか。

>なぜなら、高級ブランドは時計に限らず、基本的に「品質」にこだわ
>ります。ブランドのようにイメージを大切にするものは、いったん
>信頼を失うと、もとの評価は取り戻せないと思います。したがって、
>顧客の信頼に応えられる、また、信頼を失わないもの以外は売ら
>ないものだと考えています。

補足させていただきますと、ブランド人気が過去より低下したメーカーが、
マーケティングのうまさによって再浮上してきたものもあります。

(以下はあくまでも個人的見解)
オメガは15年くらい前は、今ほどの人気はなかったでしょう。
ジラール・ペルゴもそうだと思います。
ロレックスだって、これほどの人気になりはじめたのは最近(15年くらい)の出来事です。
カルティエもやはり同じです。
ラドーなどは、20〜30年前は、文字どおり、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていました。
しかし、一旦沈静化し、最近また人気が出てきています。
ブランド力というものは、数年のインターバルでかなり上下するものだと思います。
ブランドイメージを向上させるのは、メーカーと優秀な代理店だと思います。
(以上個人的見解おわり)

>時計好きは別として、例えばカル○ィエの時計を購入しようとする
>場合、この中のムーブはどこで作っているのか?気にする人はあ
>まりいないのではないか?このブランドの時計だから信頼して買お
>うと考えるのではないでしょうか(単にブランド好きなどと言う場合は
>ここでは別にして)。

そうですね。
ほとんど気にする人はいませんね。
女性の客層が多いというのもその理由のひとつになるかもしれません。

>消費者は賢い(異論あり?)ものですから、単に有名ブランドだとい
>うだけでは魅力を感じないものです。デザインや機能性もさることな
>がら、「品質」が良いものでないと認めないのだと思います。

消費者はもっと賢くなって、更によい買い物をしてもらいたいと思います。
そのために、時計本体以外にも、各々のメーカーの姿勢やマーケティング、あるいは、
時計の使い方などといった幅広い視野で、興味をもって話し合っていきたいと思います。

>良いものを適性な価格(これが高い!)で売る。そういうポリシーを
>持つブランドに使われているムーブ。これが自社ムーブを作ってい
>るメーカーへの好意の基準だと思っています。

適正価格というのは、考えると面白いもので、
例えば、なんでもない無銘の手巻時計が20万すると、「高いなあ」と思いますが、
これが、「ジョン・レノンが愛用した時計です」と言われると、急に安く思えて
きたりします。
結局、人々の評価の度合いが価格に反映されるわけであって、高いなら高いなりの
理由があって、それを消費者が納得できればいいわけです。
この、
納得の度合い(評価) = 価格
という図式がわたしには大変興味深いです。

●MASA氏の意見

「コンプリート・メーカー」と言うと日本では「自社一貫生産」の意味に翻訳されて
しまうのですかね。正確な翻訳でどういう言葉になるかは判りませんが…。

Zanzibarさんのおっしゃる通り、現在のスイスでは時計の部品製造を一から十まで全て
自社で賄うメーカーは皆無だと私も以前聞いた事があります。
私見で恐縮ですが、Zanzibarさんの様な考え方があくまで現地では一般的であり、自社
一貫生産という言葉に拘りすぎているのは日本だけなのではないでしょうか?
無論これは日本の時計雑誌等に大方の責任がある訳ですが、日本人と欧州人の考え方の
違い等もあるように思えます。
例えば、(時計から少し離れますが…)クラシコ・イタリアの服なんかがそうで、日本
ではフルハンドメイドと表記されていれば当然“全てが手縫い”という事になります。
しかしイタリア人の職人に言わせると「服には手で縫っても機械を使っても着心地に
関係無い所が存在する。そういう箇所は機械を使ってもハンドメイドの範疇だ。」と
開き直られてしまいます。自分勝手だ!と思う方もおられるでしょうが、服飾に関して
はこれが現実です。何も彼らに迎合する必要は無いので、気に入らなければ買わなけれ
ばよい話なのですが、欲しい場合は我々が大らかにならなければいけない思います。
不良品は論外ですが、実際イタリア製の服は意外と脆いのです(笑)。
時計を服と同列に扱うのは間違っているかもしれませんが、職人と言われる人種が作る
のは同じ筈で、そうなれば自ずと思考も似通って来ます。特に企業はコストダウンが
命題ですので他社開発のムーブが多くなるのは道理でしょう。
しかし最終的にはその会社の作品製作に全てが反映される筈なので、我々はそれで
見極めれば良いのではないでしょうか。その意見交換の為のHPですし。
実は他のHPでもこの論議はなされた事はあるのですが、結果は「良い出来のムーブで
あれば余り自社一貫生産には拘らない」と言う意見が多かった様に記憶しています。

●Zanzibar氏の意見

「コンプリート・メーカー」ということについての、さまざまな考え方を興味深く
読ませていただきました。

Jupiterさんのおっしゃるとおり、ムーブ供給メーカーとしてはETA、F.ピゲ、
レマニアなどが有名ですね。それから、自社製のムーブメントを所有している
ところは、ユニバーサル・ジュネーブ(キャリバー66,69,72)、
パテック・フィリップの一連のムーブメント(177,215,240Qほか多数)、
ピアジェのすばらしいキャリバー9P2などがあります。ドイツ系では
グラスヒュッテのキャリバー49(手巻きの基本キャリバーで、これから派生して
永久カレンダー仕様の49-01やレギュレーター仕様の49-04などが存在します。)や
自動巻タイプの10-30、またA.ランゲ&ゾーネの角型キャリバー L931.3、ここ
数年の時計に関する賞を総なめにした、代表的モデル「ランゲI」に搭載されている、
L901.0など探してみると数多くありますが、これらは技術力の高さを示す証であり
またこれが営業理念のひとつでもあると思います。

しかし、時計というものはムーブメントだけがすべてではなく、みなさんが書き
込まれているようにデザイン、その価格に見合う品質・・・いろいろな要素が重なり
合ってそれぞれが、それなりに評価されているからこそ、これだけのメーカー、
ブランドが今日まで繁栄しつづけているのだと思います。

少し視点は変わりますが、最近「ETAだから良くない。」ということを良く耳に
します。はたしてそうでしょうか?私は違うと思います。
ETAのような、量産も可能で比較的安いムーブメントが存在するからこそ、
今日の時計文化の隆盛があるわけで、たとえば、クロノグラフの代表的キャリバー
「バルジュー7750」が、あるいは中三針の「2892-A2」がこの世に存在しなかったら、
こんなにたくさんの時計が生まれてくることはなかったでしょうし、
もしクロノグラフというものが存在したとしても、一般庶民には手の届かない
高級品になっていたことでしょう。(たとえばキャリバー1140を搭載した
バセロンのクロノグラフのように・・・)。

このような事実を無視して、「ETAだから・・・」という偏向した考え方は、
もうそろそろやめにしたほうが良いと思いませんか。

●上森氏の意見

貴重なご意見ありがとうございます。
最近、痛感しているのですが、ネットにいらっしゃる時計愛好家の方の情報は実に豊富ですね。
また、単に知識を述べるにとどまらず、はっきりとしたご意見をお持ちでらっしゃることに
敬意を表したいと思います。

>実は他のHPでもこの論議はなされた事はあるのですが、結果は「良い出来のムーブで
>あれば余り自社一貫生産には拘らない」と言う意見が多かった様に記憶しています。

実に正当なご意見と思います。

PS:
バブルの頃、イタリアの服を買った時にはボタン取れが多くて泣かされました。
今は改良されているのでしょうか。

●SB氏の意見

JUPITERさん、こんにちは。
私の文は主語がいまひとつ、はっきりしていませんでした。申し訳ない
です。

>自社ムーブ(キャリバー)といえるものを使い、また、自社で作った
>ムーブを一般的に高級ブランドと評価されているところに提供して
>いるメーカーに好意を感じます。

と書いた「一般的に高級ブランドと評価されてるところ」とは、固有名
を出してはまずいと考えてこんな書き方をしたため、「時計のみ」の
高級ブランドのことだと受け取られてしまったようです。ここでは、そ
れだけではなく、「総合」高級ブランドも含んだものとして考えました。
具体的に言うと、カルティエやブルガリなどのトータルブランドのこと
も考えたのです。

>なぜなら、高級ブランドは時計に限らず、基本的に「品質」にこだわ
>ります。ブランドのようにイメージを大切にするものは、いったん
>信頼を失うと、もとの評価は取り戻せないと思います。したがって、
>顧客の信頼に応えられる、また、信頼を失わないもの以外は売ら
>ないものだと考えています。

ここでも高級ブランドはカルティエやブルガリのことも含んで書いた
つもりです。特に、カルティエは同ブランドの時計に対する評価は、
出発点からかなり高いものですね。それ以上に専門の宝飾品や
バッグなどファッション商品に対する顧客の信頼は確固たるものに
なっているブランドだと思います。

時計ブランドについては、JUPITERさんが補足していただいたように
マーケティングによって再浮上してきたものもあるんですね。

ここからはJUPITERさんのお考えについて、

>消費者はもっと賢くなって、更によい買い物をしてもらいたいと思いま>す。
>そのために、時計本体以外にも、各々のメーカーの姿勢やマーケティ>ング、あるいは、
>時計の使い方などといった幅広い視野で、興味をもって話し合ってい>きたいと思います。

ほんと、おっしゃるとおりだと思います。自分の買うものは、周りに流
されず、自分の信念で選ぶべきだと思います。そのためには、まず、
自分のスタイルを見つける必要があるのだと思うのです。
流行かなにか知りませんが、自分のスタイルにあわない時計は、な
んだか浮いて見えますよね。
ただ、自分の意志で、この社の時計はCMも広告もバンバン打って
いるのが、好ましい!と考えて、それのみで選択するという信念の
持ち主であるのなら、流されているとは言えませんがね。

>結局、人々の評価の度合いが価格に反映されるわけであって、高
>いなら高いなりの
>理由があって、それを消費者が納得できればいいわけです。
>この、
>納得の度合い(評価) = 価格
>という図式がわたしには大変興味深いです。

そうですね。簡単に言ってしまうと、「価値観」の問題ですね。
その時計にその価格に見合う「意義」を見出せる人が、それを評価す
ればいいのです。逆に、「意義」を見出さない人はそれを自分の「価値
観」だと認めればいいのだと思います。
しかし、その「意義」を見出すにあたり、その時計に関する納得の行く
情報や資料や説明が欲しいですね。

●JUPITER氏の意見

SBさん、さらに深い時計についての考察、ありがとうございます。

>・・・特に、カルティエは同ブランドの時計に対する評価は、
>出発点からかなり高いものですね。それ以上に専門の宝飾品や
>バッグなどファッション商品に対する顧客の信頼は確固たるものに
>なっているブランドだと思います。

アンティークなどでは、バセロンやパテックの機械を使用したものもあり、
時計については一線を画するブランドですね。
タンクなどは、角型時計のひとつの理想的デザインだと思います。

>時計ブランドについては、・・・・
>マーケティングによって再浮上してきたものもあるんですね。

この辺りを注目して見てみると面白いですね。
工業技術の発達によって、ほとんどのブランドが性能差のない製品を出せるようになると、
マーケティングに重点が置かれるようになるのは自然の成り行きとも言えますからね。

>しかし、その「意義」を見出すにあたり、その時計に関する納得の行く
>情報や資料や説明が欲しいですね。

この「意義」を見出すのが、時計趣味の醍醐味でしょうね。

●crossroads氏の意見

Zanzibarさん、

>少し視点は変わりますが、最近「ETAだから良くない。」ということを良く耳に
>します。はたしてそうでしょうか?私は違うと思います。

 時計を買う側からすると、やはり良く選んでせっかくためたお金で買うので、
 やっぱり機械は丁寧に仕上げて有る方がいいし、たまに開けてみると滅多に見えない
 機械が、荒削りだったりするとやっぱり残念ですね。ETAだから・・ではなく
 ムーブメントの量産メーカから出来るだけ安く機械を買って、そこそこのケースに
 そのまま入れ込んでブランド名だけで売るっていう商売のやり方が問題の様な気が
 します。

 買う人にとっては、大切なプレゼントであり、記念品である1本なのですから。

 「バルジュー7750」一つにしても、IWCがリファインしたものと、どこかの会社が、
 無理矢理ラインナップしたそのままの時計とは全然違いますよね。
 Zanziberさんの心配をよそに、やっぱり見ている人はちゃんと見ていると思います。

 中三針の「2892-A2」についても同じだと思いますよ。私も故障に泣かされながらも
 使ってます。せっかく買った1本ですから。

 ところで、cal8541のSS、シースルーバックで出ませんか?コンプリート・
 メーカって言葉はこの時計のために有るような気がしますが・・

●上森氏の意見

crossroadsさん、

>ムーブメントの量産メーカから出来るだけ安く機械を買って、そこそこのケースに
>そのまま入れ込んでブランド名だけで売るっていう商売のやり方が問題の様な気が
>します。

これはとても大きな問題だと思います。
わたしとしては、ここのところは大変興味があるところです。
ぜひ問題提起してみなさんのご意見をおうかがいしたいことでもあります。

ブランド名だけで売る、というのは、そのこと自体がよいことか悪いことかは別として、
非常に難しいことです。

それを行うためには、もしかすると機械やケースを一生懸命作ることよりも遥かにお金が
かかるかもしれません。
つまり、広告費です。
遥か昔の市場では、今ほどのブランド力もブランド信仰もなかったことでしょう。
昔は、「良いものを作れば必ず売れる」という商売の哲学をもっていれば報われたことでしょう。
しかし今は、確かにその哲学は正しいとされますが、
それだけではありません。
市場にはむしろ、もっと強力な新しいニーズが生まれてきています。

それは、説得力のあるブランドイメージ、です。
これを持っていないと市場はそのメーカーを受け入れなくなっている傾向があるのです。
逆に言えば、説得力のあるブランドイメージを作り上げることに成功すれば、
消費者が機械やケースの性能を問うことは二次的になり、
イメージそのものによって大ヒットすることも多々あるのです。

たとえば、スウォッチは(今でも忘れられないのですが)、発売された当初は、
特に技術者やよく時計を知っている人が、「オモチャだね」とある種の嘲笑的な意見を言って
いました。(個人的経験)
それは、スウォッチというものをメカニズム、あるいは、手作りかどうかという観点から
評価した意見に過ぎなかったのです。
つまり、「時計とは手作りの良い機械を、精根こめて作ったものでなければならない」
という価値基準による評価であったわけです。

しかし、その後のブランドイメージの作り上げかたは筋金入りで、わずか数年で、
最終的には数千万円を越えるプレミアムをつけることができるブランドになりました。
この現象は、多くの時計メーカー、時計業界に衝撃を与えました。
手作りのいわゆる”高級時計”の代名詞であったような複雑機械時計を越える価格を、
大量生産のクォーツ時計が達成したのですから。

わたし自身も時計が好きで、いろいろな時計を見たり、時計好きの人と話をしてきました。
まったく時計に興味がない人に比べると、少しは時計について知ってるかもしれません。
知っている以上、流行や広告に惑わされないような価値基準というか、審美眼をもっている
ような気になっていますが、それでも相当の影響を受けているのを自覚します。

自分がある時計を見て、「素晴らしい」と思った時に、
まったくメディアの影響を受けないで本当に自発的にそう思っているかどうかは
はなはだ疑問です。
というようなことを感じまして、
自分が今まで当たり前のように「素晴らしい」と思っていた基準そのものを疑うように
なり、途方に暮れるのです。

確かに、こういったブランド信仰を嘆く人は多いことでしょう。
しかし、わたしたちとしては(呼びかけてすみません)、その現状をよく把握し、
消費者の姿勢とメーカーの姿勢、時代のニーズなども冷静に熟考した上で、
この時計世界を見ていきたいと思いますね。

ちょっと抽象的になりすぎてしまいましたね。
時計談義としてお聞き下さい。

> ところで、cal8541のSS、シースルーバックで出ませんか?コンプリート・
> メーカって言葉はこの時計のために有るような気がしますが・・

こういった話をした後でなんですが、
cal8541っていいですよね。
わたしも大好きです。

●crossroads氏の意見

上森さん、こんにちは。
東京は暑いですね。田舎では皮ベルトでOKでした。

>ブランド名だけで売る、というのは、そのこと自体がよいことか悪いことかは別として、
>非常に難しいことです。それを行うためには、もしかすると機械やケースを一生懸命
>作ることよりも遥かにお金がかかるかもしれません。
>つまり、広告費です。
 中略・ 
>逆に言えば、説得力のあるブランドイメージを作り上げることに成功すれば、
>消費者が機械やケースの性能を問うことは二次的になり、
>イメージそのものによって大ヒットすることも多々あるのです。

 そうですね、今の流行のブランドはPRがすごくうまいですね。
 雑誌とかのメディアも載せやすいし、広告費は入る訳です。我々も綺麗なPRを
 見てると楽しいし、(内容の濃淡は別にして)雑誌の多いのは楽しいです。

 ブランドだけで買う人も居て良いとも思いますし、そういうラインナップも必要
 かな。さまざまな時計が有ったほうが楽しいですね。

 ただいろいろ(ごちゃごちゃ)考えて買う人も(少数)いるので、メーカもそういう
 時計を作ればいいんです。それは「広告費」を使わず、純粋に機械とケースにかけて、
 (自社・他社は問いませんが)きっちり機械を仕上げて、さあ50本出来ましたって
 具合に!。
 これが出来るかどうかで、メーカが分類される様な気がしますがどうでしょう?

●上森氏の意見

> ただいろいろ(ごちゃごちゃ)考えて買う人も(少数)いるので、メーカもそういう
> 時計を作ればいいんです。それは「広告費」を使わず、純粋に機械とケースにかけて、
> (自社・他社は問いませんが)きっちり機械を仕上げて、さあ50本出来ましたって
> 具合に!。
> これが出来るかどうかで、メーカが分類される様な気がしますがどうでしょう?

本当にその通りだと思いますよ。
最終的に残るのは、そういう時計だと信じたいところですね。
わたしも実は、そういう時計をどんどん作って欲しいと願っています。

●Zanzibar氏の意見

こんばんは。Complete Makerという言葉について、いろいろな議論が出ていますが、
一輸入代理店に所属するものとしての意見をお伝えしたいと思います。

現在の自分の立場としては、輸入代理店として、現在扱っている時計の日本における
売上をいかに伸ばすか、という視点と、個人的には「時計が好き」ということから、
今の販売方針はこれで良いのであろうか、ということです。もっと噛み砕いて言えば、
IWCが好きな人の心理は、他のブランドが好きという人とは、まったく異なり、本当に
時計が好きでしょうがなくて、研究に研究を重ねた上で、やっと自分の好きな時計を
手に入れるという志向の人が多く、したがって、購入後も、自分の手に入れた時計が、
自分の思い描いていた理想に限りなく近づくよう、必然的に注文も多くなってきます。
たとえば、日差を5秒以内にしてほしいとか、クロノグラフの初期動作の針の動きが
気になるとか、注文も非常に厳しくなってきます。
このような厳しい注文にも対応しながら、それと並行して、IWCのいわゆる
ファンクラブの会員を増やすかということになると、広告その他による宣伝が
必要になってきます。ひとつの例として、銀座で歩いている人100人に、
「あなたの知っている時計ブランド」というテーマで、調査をした場合IWCを
知っている人が何人いるでしょうか?
大半の人は「Rolex,Omega,Cartierは知っているけれど、
IWCとなると・・・」というのが正直な状況です。このような条件の元でIWCの
認知度を広めることは、極端な言い方をすれば、IWCの機械の優秀性は、時計好きの
人は十分認めていることであるので、それ以外の人、つまり時計というもの、言いかえ
れば機械自体にはそれほど興味がないけれど、そのデザインや、腕につけたときの
フィーリングでこの時計を選ぶという新しい人種を開拓していくことが必要です。
もし、IWCという時計が女性に(実際に女性がつけるのではなく)、彼氏、あるいは
素敵な男性につけてほしい時計のひとつとして、幅広く認知されるようになれば、
確実に売上もアップするでしょう。

その反面、マニア的な立場からすれば、あまり幅広く知られてほしくない、自分の
つけている時計は、ここがこれだけ優れているんだということを仲間で語り合いたい
でしょうし、自慢もしたいでしょう。この中で必ず出てくるのが、Complete Makerと
いう言葉です。この言葉は、その企業の時計作りに対する理念、その時計を語るに
あたっての重要なキーワードであるのは確かであり、私自身もこのような話が大好き
です。また、このような人たちが、潜在的な需要を支えてくれているのは確かな事実
です。

この事実を十分に理解した上で、このような両極端のユーザーを相手にしながら、
売上を伸ばすことを考えるのは楽しいことである反面、非常に難しいことです。
しかしながら、この理想が達成されれば、日本において非常に強い立場を築けるものと
思います。

本来のComplete makerということから、少し離れてしまいましたが、半端ではなく
時計に愛着のある者が輸入代理店に所属すると、日々このような葛藤があることを
知っていただければ、と思います。

●上森氏の意見

Zanzibarさん、こんばんは。
心情を語っていただいて、ありがとうございます。

>IWCが好きな人の心理は、他のブランドが好きという人とは、まったく異なり、本当に
>時計が好きでしょうがなくて、研究に研究を重ねた上で、やっと自分の好きな時計を
>手に入れるという志向の人が多く、したがって、購入後も、自分の手に入れた時計が、
>自分の思い描いていた理想に限りなく近づくよう、必然的に注文も多くなってきます。

マニアと呼ばれる方々のことですね。
このページをお読みになっている方の多くがそういう方だと思います。

>たとえば、日差を5秒以内にしてほしいとか、クロノグラフの初期動作の針の動きが
>気になるとか、注文も非常に厳しくなってきます。

たしかに、そういうシビアな注文は多いと思います。

その昔、わたしが極端な時計好きであった頃は、
「今日は何秒狂った」とか、
「ローターの回転音が気になる」とか、
「ベゼルに非常に小さな小傷がある」とか、
「持続時間にムラがある」とか、
「ぴったり合わせたはずなのに、どうしても分針と連動せず、30秒ほどずれる」とか
いって気にしていました。

しかし、これらの気になることは、時計好きなればこそ思うことで、
時計に全く興味のない人に相談しても、
「そんなことどうでもいいでしょ」と言われるのがおちです。

と同時に、時計について無知であったからこそ気になっていたとも言えます。
なぜなら、上に挙げたようなことは、機械構造を知れば何ら気にするに値しない事
だからです。

また、販売する側がもっとも苦手とするのは、今説明したタイプの人なのでは
なかろうかとも思います。
あれこれと細かいことを言われては、返答するのも大変と思うのが人情ですからね。

知りたい人と答える人のバランスがとれていないのが、現状だと思います。

すみません、横道にそれてしまいました。

>このような条件の元でIWCの認知度を広めることは、
>極端な言い方をすれば、
>IWCの機械の優秀性は、時計好きの人は十分認めていることであるので、
>それ以外の人、つまり時計というもの、言いかえれば
>機械自体にはそれほど興味がないけれど、そのデザインや、腕につけたときの
>フィーリングでこの時計を選ぶという新しい人種を開拓していくことが必要です。

これは、ほとんどのメーカーや輸入元が目指しているテーマなのでしょうね。
高級時計の広告を見ていても、
今までの固いイメージを払拭して、家庭や子供、女性をテーマにしたものが
増えていますからね。
つまり、今までの「機械本位」という姿勢から、もっと「やわらかい」印象に変わろう
としているのでしょうね。

●SB氏の意見

Zanzibarさん、こんにちは。

IWCの輸入代理店に所属されているお立場からのご意見、得るも
のが多く、参考になりました。
おっしゃるように、IWCの時計の良さ(全ての意味で)は時計好きな
方でないと、知らないし、分からないのかも知れません。
かく言う私(古い時計好き)も、インターのアンティークは値段も相対
的に高いことなどから、あまり興味がありませんでした。もちろん、
キャリバー83、89など、マニアックなところで、評価が高いのだとい
うことはなんとなく知っていましたが、それ以上の関心は持っていま
せんでした。逆に、インターの時計はマニア好みという点で敬遠さえ
するような感じ(時計好きの屈折した心理)だったのです。

それが、なぜIWCが好きになったのか?ある経営者向けの雑誌の
1ページを使った広告からなんです。1枚の正面から撮ったマーク
]Uの復刻版の写真(当時は文字盤にはマーク]Uの表記なし)
と数行のコメントのみ。載せた雑誌のステイタス、シンプルかつ感じ
のいい広告。これで興味が出て来たのでした。あれはイメージが良
かった。
その後、シャフハウゼンの確かで信頼できる技術という理念に潔さ
を感じ、シンプルで高級なデザインに惹かれて今日まで来ています。

何を言いたいかというと、私のようなマニアでもなく、単なる時計が
好きなだけの者にとっては、その時計に対するイメージが大きな
ウエイトを占めるのです。そのイメージをつくる要因としては、企業
理念、高級感、機械の精度そしてデザインが大きな要素としてかか
わって来ます。これらは何によって伝えられるのか?広告が重要な
役目を担うことになりますね。その広告も、不特定多数をターゲット
にするのではなく、IWCを分かる人、分かってもらいたい人にのみ
伝えるということでいいのではないでしょうか?それじゃあ売り上げ
が伸びませんか?

時計にはそれを付ける人のライフスタイルが反映されるべきだと考
えています。代理店はそれを考慮して、IWCの時計に見合う人が読
むであろう雑誌に広告を出したのではありませんか?誤解を恐れず
に言いますが、IWCの時計を持つ人はその時計に見合った生活を
しているべきだと思うのです。某社のようにお金さえ出せば買えると
いうものではなく、ふさわしい人は必然的にこれを選ぶというような
時計であって欲しいと感じています。つまり、IWCの理念が意識的、
無意識に関わらず、好ましいものと感じられる人が自分の生活の中
で選ぶ時計であって欲しいのです。

●上森氏の意見

SBさん、

>それが、なぜIWCが好きになったのか?ある経営者向けの雑誌の
>1ページを使った広告からなんです。

SBさんほどの時計知識人の興味をひきつけるくらいですから、
よほどセンスのいい広告だったのでしょうね。

>・・・・の者にとっては、その時計に対するイメージが大きな
>ウエイトを占めるのです。そのイメージをつくる要因としては、企業
>理念、高級感、機械の精度そしてデザインが大きな要素としてかか
>わって来ます。これらは何によって伝えられるのか?広告が重要な
>役目を担うことになりますね。

なりますね。
広告に限らず、雑誌の記事や業界の話などもブランドイメージづくりに影響を及ぼす
ことでしょう。

>その広告も、不特定多数をターゲットにするのではなく、
>IWCを分かる人、分かってもらいたい人にのみ伝えるということでいいのでは
>ないでしょうか?
>それじゃあ売り上げが伸びませんか?

このご意見を書かれるお気持ち、とてもよくわかります。
時計好きな方ならではのご意見だと思います。

ただ、
「IWCをわかる人、わかってもらいたい人」とは、どういうタイプの人でしょうか?
SBさんはどう思われますか?

>時計にはそれを付ける人のライフスタイルが反映されるべきだと考
>えています。代理店はそれを考慮して、IWCの時計に見合う人が読
>むであろう雑誌に広告を出したのではありませんか?

たしかに、高級時計の広告は雑誌を選ぶと思います。
プレジデントやニューズウィーク、あるいはゴールドカードをもっている人向けの雑誌
などにはよく高級時計が登場しますね。

>誤解を恐れずに言いますが、IWCの時計を持つ人はその時計に見合った生活を
>しているべきだと思うのです。
>ふさわしい人は必然的にこれを選ぶというような時計であって欲しいと感じています。

この辺の持つ人の定義は大変難しいと思います。

>つまり、IWCの理念が意識的、無意識に関わらず、好ましいものと感じられる人が
>自分の生活の中で選ぶ時計であって欲しいのです。

そういう定義であれば、わたしは賛成します。

実は、当ホームページで次のような文章を載せようとしたことがあったのです。
しかし、この文章はちょっと偏りすぎな感じもするので割愛しました。
今読み返してみても、いただけない文章ですが、載せたい衝動にかられ、ここで発表します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

高級時計を販売する時、あるいは購入する時、次のように言われることがあります。
「この時計はお客様みたいな一流の方にはふさわしい時計です」
「わたしも努力して成功して、この時計にふさわしい人物になりたいです」
「いやあ、○○○○なんて、わたしにはまだ早すぎます」

あたりまえのように交わされている会話ですが、なんかおかしくないですか?
これらは、販売生活は長いけど、扱っている時計の機械についてなどには
何も興味をもっていない円熟した販売員などがよく言うセリフです。

時計は確かに面白いものですが、やはりプロダクツです。
それを擬人化して、偶像崇拝的に表現するところが何ともつまらないと思います。
また、こういう会話の背景には、高級時計は金持ちが持つ、という定義が隠されており、
それは、金持ち(社会的成功者)でなければ高級時計は似合わない、という実に不愉快な
考えを生み出します。
高級時計は高額なので、たしかに、ある程度の資金力のある人でないと買うことができない
ことが多いでしょう。
しかし、お金はないけど、時計に憧れて、一生懸命お金をためて、
高級時計を買う人もいるのです。

たとえば、四畳半のアパートに住みながら、永久カレンダーを買った青年を思い浮かべて
ください。
おそらく、この情景は世間の嘲笑を買うことでしょう。
しかし、わたしとしては、その心意気、その時計人魂に惜しみない拍手をおくると共に、
「あなたこそ、その時計を持つべき人だ」と言いたいのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●SB氏の意見

>「IWCをわかる人、わかってもらいたい人」とは、どういうタイプの
>人でしょうか?
>SBさんはどう思われますか?

これは、IWCの企業理念を理解できる人、逆にIWC自体が自社の
製品を身につけてもらいたい人(?:これは是非Zanzibarさんにお聞
きしたいけれど無理でしょうか)のつもりで書きました。
どういうタイプ?自分の生き方を持つ、時計好きな人・・でしょうか。

>たしかに、高級時計の広告は雑誌を選ぶと思います。
>プレジデントやニューズウィーク、あるいはゴールドカードをもって
>いる人向けの雑誌などにはよく高級時計が登場しますね。

価格の高い時計は、そういう雑誌の読者層をターゲットにするのは
当然のことですよね。そういう雑誌に広告を打つことで、そのブランド
のイメージが良くなるという効果もありますね。

>次のような文章を載せようとしたことがあったのです。
>しかし、この文章はちょっと偏りすぎな感じもするので割愛しました。
>今読み返してみても、いただけない文章ですが、載せたい衝動にか
>られ、ここで発表します。

私の文は上森さんのどこかを刺激するらしく(笑)、いつもとっておき
のものを発表してくれるので、とても嬉しいです(笑)。

>高級時計を販売する時、あるいは購入する時、次のように言われる
>ことがあります。
>「この時計はお客様みたいな一流の方にはふさわしい時計です」
>「わたしも努力して成功して、この時計にふさわしい人物になりたい
>です」
>「いやあ、○○○○なんて、わたしにはまだ早すぎます」
>あたりまえのように交わされている会話ですが、なんかおかしくない
>ですか?
>これらは、販売生活は長いけど、扱っている時計の機械についてな
>どには何も興味をもっていない円熟した販売員などがよく言うセリフ
>です。

理解できますし、そういう売り方や売られ方はされたくはありません

>また、こういう会話の背景には、高級時計は金持ちが持つ、という
>定義が隠されており、それは、金持ち(社会的成功者)でなければ
>高級時計は似合わない、という実に不愉快な考えを生み出します。
>高級時計は高額なので、たしかに、ある程度の資金力のある人で
>ないと買うことができないことが多いでしょう。

確かに、現実的には資金がなければ手に入れられないのは、事実
であり、お金持ちは簡単に高級時計をどんどん買うことができます。
これは時計に限らず、全ての商品について言えることでしょうね。
私も、こういう拝金主義的な考え方は嫌いですが、我が国の社会が
そうなってしまっている以上、仕方のないことなんでしょうか・・・。
少し違うかも知れませんが、車などでも「いつかは、ク○ウン」など
というコピーがありましたが、こういう理念が受け入れられている社
会なんですね。

>しかし、お金はないけど、時計に憧れて、一生懸命お金をためて、
>高級時計を買う人もいるのです。
>たとえば、四畳半のアパートに住みながら、永久カレンダーを買っ
>た青年を思い浮かべてください。
>おそらく、この情景は世間の嘲笑を買うことでしょう。
>しかし、わたしとしては、その心意気、その時計人魂に惜しみない
>拍手をおくると共に、「あなたこそ、その時計を持つべき人だ」と言
>いたいのです。

ここなんですね、難しいのは。これこそ、それぞれの価値観の問題
になるところですね。お金をこつこつ貯め、時計を買う。車を買う。家
を買う。その人にとって何に価値を見出すかという、いわば個人の自
由の範囲になりますから。
しかし、買われる「物」を作った人(社)の意識はどうなんでしょう?自
分が丹精込め作った自信作です。それに見合う価格が付いていま
す。
どういう人に買って欲しいのでしょう?どう使って欲しいのでしょう?
その製品の理念を理解しない人が持っていても、「豚に真珠」「無用
の長物」です。作り手はそんなことは決して望んではいないはずで
す。
上森さんがおっしゃりたいのは、ここのところではありませんか?
金にあかせて、その良さを何も理解せずに売る、買う人々に対する
時計好きからの警告(反発?)。
しかし、極端に言えば、食べたいものも我慢し、着たいものも着ず、
無理をして買ってくれたとしたら、作る側としてはどうなんでしょう?

人は自分で物を選べます。物は人を選んではならないのでしょうか?
お金さえだせば買えるものは多いです。資力の差はともかく、どんな
ものでもその価格分だけお金が揃えば買えるんです。
作った側が買って欲しい人を選ぶのはおかしいのでしょうか?
気になるのは、ここのところなんです。

●上森氏の意見

>確かに、現実的には資金がなければ手に入れられないのは、事実
>であり、お金持ちは簡単に高級時計をどんどん買うことができます。
>これは時計に限らず、全ての商品について言えることでしょうね。
>私も、こういう拝金主義的な考え方は嫌いですが、我が国の社会が
>そうなってしまっている以上、仕方のないことなんでしょうか・・・。

資本主義の世の中ですからね。

>少し違うかも知れませんが、車などでも「いつかは、ク○ウン」など
>というコピーがありましたが、こういう理念が受け入れられている社
>会なんですね。

この手の広告は、ある種の押し付けを感じますね。
説明するのではなく、有無を言わせず刷り込むという・・・。
理由を説明してくれ、って言いたくなります。

>しかし、買われる「物」を作った人(社)の意識はどうなんでしょう?自
>分が丹精込め作った自信作です。それに見合う価格が付いていま
>す。
>どういう人に買って欲しいのでしょう?どう使って欲しいのでしょう?
>その製品の理念を理解しない人が持っていても、「豚に真珠」「無用
>の長物」です。作り手はそんなことは決して望んではいないはずで
>す。
>上森さんがおっしゃりたいのは、ここのところではありませんか?

そうです。そういうことをお伝えしたかったです。
付け加えると、視点がメーカー側ではなく、消費者にあり、
消費者からメーカー(販売側を含む)の意識を問う!
というものでした。

>金にあかせて、その良さを何も理解せずに売る、買う人々に対する
>時計好きからの警告(反発?)。

反発ですね。
「他人より金持ち(社会的成功者)に思われたいための小道具としてしか、時計を見ることが
できない風潮を助長させるような行動」これを指摘し、反発したいです。
ただ、このステイタス性というものは、時計の楽しみのひとつであるのは事実なのですが、
それしかテーマにしないところが貧困な発想だなと思います。

>しかし、極端に言えば、食べたいものも我慢し、着たいものも着ず、
>無理をして買ってくれたとしたら、作る側としてはどうなんでしょう?

職人冥利に尽きるのではないでしょうか。

>作った側が買って欲しい人を選ぶのはおかしいのでしょうか?
>気になるのは、ここのところなんです。

おかしくないと思います。
それくらいの心意気でモノ作りをして欲しいと思います。
「時計愛好家の方だけにお売りいたします、○○○○」なんていう辛口のメーカーが
出てきたら面白いでしょうけど、商業的には採算合わないでしょうね。
もちろん、品質は高度なものでなければ意味ないですが・・・。