●名前 third-eye ●登録日時 10/26(木)18:34 パスワード 正体は? -------------------------------------------------------------------------------- こんにちわ、みなさん。 実は、管理人の上森様にうかがいます。 一覧のページの右上にあるかわいい時計 (ピンクダイヤル)は どちらの時計でしょうか。 宜しく。 ●名前 上森 ●登録日時 10/29(日)21:30 パスワード re(1):正体は? -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、こんばんは。 お久しぶりです。 お元気ですか? いつも楽しいお話しをどうもありがとうございます。 third-eye さん、雁木さん、こんばんは。 お世話になっています。 > 一覧のページの右上にあるかわいい時計 > (ピンクダイヤル)はどちらの時計でしょうか。 はい、雁木さんのお答えのとおり、 ポール・ピコ:ファーシャー・ラウンド・パワーリザーブ です。 ピンク文字盤のレディースウォッチです。 http://www.dac-inc.co.jp/~pp/products/ronde/ronde_normal.html 実はわたしも先日、ポールピコを購入いたしまして、 その完成度の高さに満足して使っています。 以下にインプレッションをコラムとしてまとめてみました。 お読みいただければ幸いです。 ------------------- <ポールピコが織りなす美の世界> このブランドは、複雑ムーブの魅力もさることながら、 美しいケースラインにこそ独創性があると思います。 個人的には、トノー型や角型にぐっとくるデザインが多いです。 官能的でさえあるケースの曲線を指で触っていると、 「これは、世紀の変わり目に、じっくりと取り組むのにふさわしい時計である」 などと思いまして。 考えた末に購入した次第です。 選んだ時計は、 ”ファーシャー・トノー・マラケシュ・クロノグラフ”。 英語表記で、 ”Firshire Tonneau Marrakech Chronograph” 実にかっこいい名前だと思いませんか? 特に「マラケシュ クロノグラフ」というところが。(笑) 愛用する時計は、やはり名前の響きもいいものであってもらいたいですね。 名前の魅力というと、 ”ファーシャー1937アリビ” ”Firshiere 1937 ALIBI" というのにもかなり惹かれたのです。 http://www.dac-inc.co.jp/~pp/products/newmodel/1937_1.html 「アリバイ」というのがいいじゃないですか。 男と女のアリバイを意味しているそうですが、何とも意味深長ですね。 普通アリバイといいますと、完全犯罪における犯人の”アリバイ”というようなイメージが浮かんできます。 ※アリバイ【alibi】 (もとラテン語で「他の所に」の意) 犯罪が行われた時、被疑者・被告人がその現場にいなかったという証明。不在証明。 わたし、実は「刑事コロンボ」が大好きで、 休みの日などはビデオをたくさん借りてきて見ています。 知的な犯人が起こすトリッキーな犯罪。 それをレンガを崩すように、ひとつずつ解明してゆくコロンボ警部。 ストーリーの面白さに、見ていて時を忘れます。 で、話しがどんどんそれてしまいますが、 江戸川乱歩の名探偵”明智小五郎シリーズ”もまた大好きなのです。 たくみに作り出した犯人のアリバイを、明智探偵の推理によって崩してゆくさまは、 実にスリリングで、手に汗握る展開を楽しむことができます。 昔ふうに言いますと、 「血わき、肉おどる」 そんな感じです。 そういうわけで、 探偵小説ファンのわたしとしましては、どうしてもこの ”ファーシャー1937”というアリバイウォッチが欲しかったのですが、いかんせん。高すぎて買えない・・・・。 そこで、もう少し現実的なラインで探していましたところ、 ピンスポットが当たるような感じで浮上してきたのが ”マラケシュ クロノグラフ” だったのです。 一目見たとき、 「美しい・・・、美しすぎる・・・・」 と感じました。 美しい人は理性を越えて人を虜にし、その点において罪ですが、 この時計も美しさにおいてわたしを虜にした罪な時計です。 まさしく”耽美派ウォッチ”といえるでしょう。 詩人でいえば ”アルチュール・ランボー”の悲愴美。 映画でいえば ”ジャン・リュック・ゴダールの映像美”。 アーティストでいえば ”デビッド・シルヴィアン”の哲学的な美。 そういう作家たちに共通する現代的な美の世界に通じるものを感じました。 最近、わたしも30代の中ごろにさしかかってきまして、 思うところ大であります。 10代の後半、20代の頃は、 将来が見えなくて、不安で、もがいていたものです。 あの頃は、自分で言うのもなんですが、 いわば、憂愁のモラトリアム青年でした。 しかし、少しずつ大人になるにしたがって、 出るところと引くところ、とでも申しましょうか、 人のきび、とでも申しましょうか、 そういうものがわかってきて、 そして、社会的にもちょっとは安定してきますので、だんだんと ”悩みによる美の世界”を忘れてくるのです。 「わたしはなぜ生きているのか?」 などと問わなくなってまいります。 居酒屋で飲みながら、 「だから、そういう企画を通すときにはね、  まずキーマンである部長の同意を得るところから始めなきゃ。  で、その後はさ、あの人とあの人に部長がOKしたと言いえばさ、  簡単に判子もらえるんだよ。  それを最初から現場監督に企画ぶつけるから失敗するのさ・・・」 などと後輩に話したりして、 妙に社会に適応している自分に気づいて唖然とするのであります。 アーティストの作品などを見ていますと、 一概にはいえないかもしれませんが、 概して初期のものには言いようのない情熱を感じることが多いと思います。 まだ世間的に認められていない作家は、狭いアパートで、 夏は暑い思いをして、冬は凍えるような思いをして、もがき苦しみながら、 作品に向かったに違いありません。 お腹だっていつも空いていたことでしょう。 着る物だってボロばかりだったことでしょう。 将来の生活への不安、自分が認められないことへの不満、 ほとばしるエネルギー、若さ、情熱、表現への意志・・・・。 こういうものが入り混じった青年が生み出す作品には、 説明のいらない青い命が吹き込まれるのであります。 これは、大家になって生活が安定したときには、 もう取り戻すことができないような感覚なのであります。 それゆえに美しく、貴重なのであります。 荒削りでもいい、青年期の息吹を忘れてはならない。 プロトタイプの情熱を忘れてはならない。 とつくづく感じる今日この頃です。 そういうわけで、 今言った気持ちを象徴する腕時計として、 わたしはマラケシュクロノグラフを選びました。 この時計を腕につけている間は、モラトリアムな青年でいたいと思います。 そして、時計が長持ちするであろうと同じくらい、 この気持ちを忘れたくないと祈るのです。 http://www.dac-inc.co.jp/~pp/products/newmodel/f_marrakech_1.html