●名前 上森 ●登録日時 10/04(水)16:38 パスワード 価値基準の変動について -------------------------------------------------------------------------------- みなさん、こんにちは。 お元気ですか? 今日はこちらは秋晴れですがすがしい天気です。 いかがお過ごしですか? さて、輸入品についてさまざまなご意見を 拝見させていただきまして、 わたくしもこの一週間、大変考えさせられました。 内容がとても濃い、示唆に富んだものであるのはもちろんのこと、 みなさま大変冷静に、紳士的にお話しされていらっしゃり、 深く感じ入っている次第です。 心からありがとうございます。 振り返ってみますと、この類いの問題は 低価格販売が広まってきた 80年代後半頃からの社会的なテーマではなかろうか などと思います。 わたしも個人的に、このテーマにはずっと興味をもっていまして、 市場をみたり、先輩や仲間に意見を聞いてみたり、本を読んだりしながら いつかは自分なりの意見をまとめたいと思い続けています。 さしあたって現在感じているところを述べさせていただきますと、 ・最終的には消費者のニーズに応えるところが残るだろうと思う ということでございます。 (当たり前のことですが) 消費者はいったい何を望んでいるのか? と考えてみますと、 低価格であることはもちろん、きめ細かいサービス、 内容の濃い情報、安心感、・・・などなど たくさんの要望が挙げられると思います。 それに加えて、 こと高級時計の場合は、「高級時計を持っているステイタス性」とか、 もしかすると、「ブランド性 → エリート性(?)」とか、 そういった、なんともつかみどころのない精神的な要素も 絡み合ってくると思うのです。 それゆえに、 ”イメージ”という記号的なところも考慮されてしかるべきだと思うのです。 このあたりは、日常生活必需品的な品物とは一線を画するところ大なのでは ないかと思います。 (もちろん生活必需品でもイメージは大切だと思いますが) さらに、価格というところに目を向けて考えてみますと、 わたしは個人的に、 ・ある品物が場所(状況)によって値段が違う というのは、 悪いことというよりも、むしろその逆で、 当たり前のことなのではなかろうか、と思っています。 これについて、ビールを例に考えてみます。 (適切な例かどうかわかりませんが) 同じビールでも、 地ビール工場に行けば、無料で飲ませてくれることもありますし、 酒屋や自販機に行けば、けっこう安く買うことができます。 でも、 これがガード下の縄のれんに行けば、やや値段が上がり、 バーやスナックに行けばもっと値段が上がります。 さらに、 会員制クラブになるとまた値段が上がるかもしれませんし、 銀座あたりの一等地に位置するお店になってくると、 「これが同じビールの値段か?」 と驚くほど高値で出されていたりいたします。 この状況をみて、 同じビールなのだから、同じ値段で売るべきである。 とは、少なくも、わたしは思いません。 むしろ、消費者として、 値段が変わるのは当たり前として、ちゃんとそれに見合ったサービスを して欲しい。 というのが本心に近いところです。 サービスにもいろいろとあると思います。 高級地にお店を構えるのもサービス、 クローズされた場所で会員だけに楽しんでもらうのもサービス、 ビール以外におしぼりを出してくれるのもサービス、 ビールのお酌をしてくれるのもサービス、 きれいな店内装飾を施すのもサービス、 気さくな雰囲気もサービス、 全然サービスしないかわりに、安くするのもまたサービスだと思います。 そういうわけで、 消費者のニーズにあった形のサービスが行われ、 それを消費者が評価すれば、そのサービスは更に洗練されたものに発展して ゆくでしょうし、 評価できるようなサービスを付加せず、ただ高い値段ばかりとっているところは 自然と、生き残りが難しくなるだろう、と感じるのであります。 価格ということについて、 更に考えてみますと、 個人的には、「定価」という概念そのものに 一考の余地があるのではないかと思うこともございます。 定価とはつまり、「どこでもこの値段で売っています」という 意味合いが含まれていると思うのですが、 よくよく考えてみると、これは 商品イメージを守り、流通過程のマージンを確保するという 働きがあるのと同時に、 定価がひとつの基準としてまかり通ってしまい 市場においては一方で、定価から比べて何%OFF というような、 価格のつけ方も生まれてきます。 たとえば、 A店では定価 100円で売っているものを、 B店では販売価格は定価の40%OFFの60円で売っているとしましょう。 消費者からみると、 「100円で売っているA店に物申す! B店との40%もの価格差はどういうことだ!」 という話しが出てきそうですが、 それもこれも、 ”定価100円”という 無言のうちの価値基準を受け入れているからこその 言葉なのではないか、などと思うのです。 もし、 定価がなければどうでしょう。 A店が100円で売っていても、B店が60円で売っていても、 A店が素晴らしいサービスを行っているのであれば あまり抵抗を感じません。(個人的見解です) それが、 「あの有名なブランド某が、定価100円のところ、 なんと、なんと、60円で販売しています!! これは絶対、お買い得!!」 というような表現に出会ったりしますと、 消費者としては食指が動くのですが、 同時に、 「それでは、なぜ定価がありながら、 いろんなところで、違う値段で売っているのか?」 などと根本的な疑問も湧いてきて、 また違った混乱が生じてくると思うのです。 もっとも、かといって、 すぐに定価がなくなると、 今まであった基準がなくなるので、従来の感覚からすると、 デメリットも多々あったり、 買い物をするときに、定価から値引きされるという楽しみがなくなったりと、 さまざまな諸問題も出てくると思いますので、 一概には、 「定価ではなくオープンプライスを」とは言い切れない ところもあると思うのですが、 それにしましても、 定価という考え方をもう一度吟味し直してみる価値はあるように 思う次第でございます。 雑感を書かせていただきました。 乱文ご容赦ください。 お読みいただいて、ありがとうございました。