パテック・フィリップのシンプルなムーブメント



釣りをする人の間では、「釣りはフナに始まりフナに終わる」という言い方がありますが、これを時計趣味に当てはめると、「時計は手巻に始まり手巻に終わる」ということになるに違いありません。

もっともシンプルな手巻時計は、あらゆる虚飾を取り払ったプレーンな良さがあります。
特にスモールセコンド付き手巻時計は、時間を計測する上で必要最小限度のパーツしか使われていません。
余計なパーツがひとつもないのです。

この時計は、「時を正確に刻んで表示する」という単純で、しかし極めて重要な目的を完遂するためだけに作られています。
時計に課せられる命令のうち、この命令は至上命令です。
逆の見方をすれば、「時を正確に刻んで表示する」という命令以外のものは、すべて付加的なものです。

付加的な命令とは何でしょうか?
例えば自動巻きの時計は、”ゼンマイの巻上機構”が組み込まれています。
リューズを手で巻くという人の労力を軽減させるために生まれた巻上機構は、ある意味で機械が人に歩み寄ったものであり、やさしい機械、という観点から見ればこれはひとつの文化ではありますが、自動的にゼンマイを巻き上げるという機能はやはり付加的なものです。
ゼンマイ巻上残量表示機構も時計の裏ブタにサファイアクリスタルを入れて機械を見えるようにするのも同じです。

これらの機構は先に述べた至上命令を達成した上で付加されるものであり、その第一の命令をどれほどの高いレベルで達成しているかでそのブランドの時計に対する姿勢が理解できるものです。

パテック・フィリップはそういった時計愛好家の要求を深く満足させてくれます。
パテック・フィリップは極端にシンプルな時計と、極端に複雑な時計を生み出している数少ないメーカーです。
しかし、そのどの時計を見ても「最高レベルの完成度」という点では共通しています。

例えば、パテック・フィリップで現在もっとも多用されているムーブメント、キャリバー215を見てみましょう。
キャリバー215はほとんどのメンズ手巻モデルに搭載されています。
試しに誰か時計知識人を探してきて、こう聞いてみましょう。

「このムーブメントを超える手巻キャリバーを3つ挙げて下さい」

お断りしておきますが、”超える”という意味はここで、
調整のしやすさ、精度、美しさ、機械の作り方、機械の完成度を差しています。
恐らくすべての人が返答に困ることでしょう。

パテック・フィリップのムーブメント作りの特筆されるべきことは、
ほとんどの機械が「緩急針をもっていない」ということです。
緩急針は、ヒゲゼンマイの長さを手軽に変えることができ、ちょっとした時間調整をするのに実に便利な機構です。

しかし、緩急針があれば、調整者はそれに依存してしまいがちになりますし、何よりも緩急針を使ってしまうとヒゲゼンマイの巻きだし地点から最終地点の角度の関係 (ピンニングポイント) が狂ってしまうのです。

パテック・フィリップはこのような問題を引き起こす緩急針を潔く捨て去り、テンプのバランスだけで調速してゆくという王道を選んでいます。
この哲学はもっともシンプルなムーブメント、キャリバー215にも色濃く反映されています。
パテック・フィリップの時計は、すべてこのような基本的で克服し難い問題をクリアした上で複雑化してゆくのです。

すべてのコンプリケーションウォッチは、シンプルな手巻機械で達成されたレベルを土台にして作られているのです。


 




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