SF時計小説 「パラダイス」

パラジソ

佐々はその時計、パラジソを手にとって、高く持ち上げた。
パラジソは一見、何の変哲もない丸型の革バンド付きの腕時計であった。
地味なシルバー色の側にクリーム色の文字盤、ごくありきたりなアラビア数字、2針表示、黒い革バンドはクロコダイルのような光沢だ。

集まっている報道陣はパチパチとカメラのシャッターを切った。
しかし、あまりにも普通のアンティーク時計と違わないそれは、会場に集まっているすべての人々に動揺を巻き起こした。

報道陣の一人が佐々に聞いた。

佐々先生、その時計はどういうところが新しいのですか?
ありきたりな時計にしか見えないんですが・・・。

その質問には答えず、佐々は時計の解説をはじめた。

これは、プラチナケースの手巻時計です。
大変精度もよく、日差プラス2秒というところです。
調整には随分と手間がかかりました。
これだけ手の込んだ仕上げをした時計はそうありません。
どうです、このケースの線!
美しいでしょう。
これから会場のみなさんに実際に触ってもらいます。
この時計の素晴らしさを実感してください。
あっ、そこの右端の方、この時計を手にとってご覧ください。
そして、順番に後ろの方に回してください。

右端の参加者がいぶかしげな顔をしながら壇上の佐々のもとにやってきて時計を受取って席についた。
まわりの人々がその時計を覗き込んだ。
受取った人は腕にのせたり、耳に近づけて音を聞いたりした。しかし、特にこれといって際立ったところは認められない様子で、ちょっと苦笑いしながら後ろの人に時計を渡した。
順番にまわされていく時計を受取った人々は、みな首をかしげていた。
報道陣のひとりが駆け寄ってきて、時計を触った人にインタビューをこころみた。
「どうです?」
「パラジソのご感想は?」
触った人々は口を揃えてこう答えた。
「いやあ、普通の時計みたいでしたけどね・・・。」
「作りはいいと思うんですが・・・・。」

会場の人々の動揺は更に高まっていった。
時計はゆっくりと会場内を送られてゆき、やがて最後に時計を受取った人が壇上の佐々にそれを返した。
場内の沈黙。

しびれを切らして報道陣のひとりが聞いた。
「佐々先生、画期的な新製品という訳がよくわからないのですが?」

はっはっは、わかりませんか。
それでは、なおさら私の研究は報われたことになりますね。
そろそろ種明かしをしましょう。
それは本物の時計ではありません。立体合成の映像が空間に映し出されているものです。
人体の触覚をつかさどる神経にも特殊な電波によって影響を与えておりまして、それを持った人はあたかも実際の時計を触っているような錯覚を起こすのです。
重さも手応えも本物そっくりでしょう?

佐々はポケットから黒い20センチほどの帯状のものを取り出して見せた。
みなさん、これがその正体です。
こいつを作動させると、実際のアンティーク時計と全く同じ立体映像を作り出し、手触りも同じにしてしまうのです。

佐々が黒い帯をちょっといじると、それは先ほどの時計に姿を変えた。

外見も質感も本物そっくりです。
しかし、ここに映し出されている時計を形作っているすべての部品が立体映像なのです。
側も文字盤も針もバンドも機械も・・・。
ほら、裏蓋にクリスタルガラスが入っていて、機械が動いているように見えるでしょう。
もちろん、これも立体映像ですが、歯車ひとつひとつは、実際の歯車をイメージサンプリングして合成したものです。
歯車に限らずすべてのパーツが現物のイメージをサンプリングして描き直しているものなのです。
この時計は、それらのパーツの現実的な動きを完全にシミュレートしており、現実の機械時計ならこのように動作するだろうと推測計算しながら映像を作り出してゆきます。
つまり、一度架空のパーツをひとつひとつモデリングした上で、それを組んでいるのです。
パーツが実際に動いたらこのようになるであろうと、プログラムによって再構成しているのです。
どうです、このテンプの動き!
この巻上ヒゲの精密さ!
金属素材の剛性や弾性も計算済みです。
もちろん、姿勢差もプログラムしてありますよ。
これは、触覚さえも作り出すので、まったく本物の時計と見分けがつきません。
これを持つと、プラチナ独特のずっしりした重みを手に感じるのです。
また、これは高性能センサーを装備しています。
ショックを与えたり、温度変化を受けたり、水をかけたり、埃っぽいところで使用されたり、磁気を受けたりすると、センサーでそれをキャッチし、描き出しているパーツひとつひとつにしかるべき変化を与えてくれます。
ですから、当然のごとく日差も生じます。
使い方によって一日何秒狂うかは違ってくるのです。
また、これは経年変化をも起こしているような映像を作り出します。
使っているうちに、傷がついたり、パーツが劣化したりしているように見えるのです。
これらをうまく表現するプログラムを書くのは大変でした。
E++で12万行のソースコードになってしまいました。

会場に集まった人々は、あまりに荒唐無稽なことを聞かされて唖然としていた。